宮森宏和〜金沢カレーを世界へ広げた飲食業界の寵児〜

一目見ると忘れられないゴリラのロゴマークが印象的なカレー専門店「ゴーゴーカレー」。石川県金沢市のご当地グルメ「金沢カレー」を提供する、独特な飲食チェーンです。

斬新さが受けてsnsなどで話題に

創業したのは、石川県金沢市出身の宮森宏和(みやもり・ひろかず)氏。2004年に1号店となる新宿本店をオープン後、さまざまな苦労を経て事業を拡大。現在は海外にも店舗を展開する人気チェーン店となりました。定番のロースカツカレーやチキンカツカレー、SNSなどで「最高に頭悪そう(褒め言葉)」と驚かれるほどボリューミーなメジャーカレーなど多彩なメニューはもちろん、辛さやトッピングを選べる斬新さも好評を博しています。

近年はレトルト展開、そしてM&Aなども加速させており、その経営手腕に注目が集まっています。

人と違うことをやりたがった幼少期

宮森氏は1973年、石川県金沢市の生まれ。兼業農家の長男として育ちました。人と違うことをやりたがる子どもで、中学時代はバスケットボール、高校時代は馬術に打ち込み、ジョッキーをめざしていた時期もあったそうです(競馬学校の体重制限に引っかかり断念)

もっとも、当時は明確な将来の目標を持っていなかった宮森氏。進路を考える中学3年の頃には、学校にほとんど行かず、友人と遊んだり、アウトドアを楽しんだりする、やんちゃな少年期を過ごしていました。

人との縁は大切に

一方で、周囲の人との縁は大切にしてきたと言います。高校時代にやっていた清掃員のアルバイトは、先輩から紹介された縁もあって3年間しっかり全うし、当時の先生たちとは今も交流があるとのこと。そうした縁の積み重ねが今の自分を作っていると、感謝の念を大切にしているそうです。

松井秀喜氏の満塁ホームランで脱サラを決意

高校を卒業後は、進学せずにパチプロ生活。しかしこのままではまずいと感じ、旅行の専門学校へ進学。そして卒業後、旅行代理店へ就職し、ツアーコンダクターなどの業務に打ち込みました。

当時の仕事は楽しく、ほぼ1年中、働いていたという宮森氏。社員旅行に帯同する機会も多く、その時に聞いた多くの経営者の話は、その後の仕事や起業後の自身の経営にも生きてきたと言います。

いつかは社長に

しかし、仕事に熱中し、やがて「いつかは社長に」との思いを強くする中、会社は不景気の波を受けて業績が急激に悪化。そして、ついに他社へ吸収合併されてしまいます。

いきなり目標を失い、これからどうしたらいいのか失意に沈む日々を送る宮森氏。そんな中で訪れた2003年4月、見ていたあるテレビ番組が奮起のきっかけになったと言います。

松井秀喜氏のデビュー戦がキッカケ

放送されていたのは、メジャーリーグの試合。同年に読売ジャイアンツからニューヨーク・ヤンキースへ移籍した松井秀喜氏の本拠地デビュー戦でした。

このとき松井氏は満塁ホームランを放ち、それを見ていた宮森氏は大いに感動。同じ石川県の出身で同世代の松井氏の活躍に刺激され、自分もいつかビジネスでニューヨークへ行くと決意し、会社を退職します。

「これならニューヨークに行ける」とカレー専門店を立ち上げ

旅行代理店を退職後、どんなビジネスならニューヨークで通用するかを考えた宮森氏。周りから外資系の生保営業などいろいろな仕事を紹介してもらう中、しかし「それではニューヨークに行けない」と悩み抜きます。

金沢カレーでニューヨークに挑戦

そして最終的に行き着いた答えが、自身の地元が誇るご当地グルメ「金沢カレー」でした。

カレーは世界中の誰もが愛するグルメですが、当時の日本で大きなチェーンはココイチくらいしかなく、可能性があると判断。アメリカでもきっと通用する、これでニューヨークに行ってみせると、宮森氏はカレービジネスに乗り出します。

ちなみに、起業のきっかけとなった松井秀喜氏が、実家へ帰省すると必ずお母さんのカレーを食べていたというほどカレー好きだったことも、決め手の一つだったそうです。

金沢カレーの味を習得

その後、石川県の有名店「ターバンカレー」の味をモデルに、地元で半年ほど修行して金沢カレーの味を習得。そして、2013年12月にゴーゴーカレーを立ち上げ。この法人名は、松井秀喜氏の現役時代の背番号「55」にかけたそうです。

しかし、当時はまだ店舗が1つもなかったとのこと。宮森氏は自らを追い込むため、先に法人を作ったと語っています。

1号店の開店を2004年5月5日(ゴーゴー)と決めていた宮森氏は、簿記や経営について必死に勉強しつつ、開店準備を進めます。信用がないためにテナントが見つからない、資金がない、工事が間に合わないなど不測の困難に見舞われつつも、社員一同が結束して乗り切り、無事に1号店を開店。オープン当日は大行列ができ、順調なスタートを切りました。

B級グルメブームで急成長、ついに念願のNYへ

その後、B級グルメブームも手伝って、ゴーゴーカレーは急成長。街宣車を使ったプロモーション、オープニング恒例の55円キャンペーンなど、独特な宣伝戦略も功を奏し、その知名度はどんどん高まっていきました。

そして2007年5月5日、松井秀喜氏の満塁ホームランに感動した時からわずか4年で、宮森氏はニューヨークに店舗を出店。ついに夢を叶えました。

その後、アジア戦略の失敗、業績不振などの苦境をなんとか乗り切る中、宮森氏は会社が転換期にあると痛感。それまでの売上や店舗数をひたすら追いかけてきた拡大路線から、お客様一人ひとりに愛される会社をめざす方向へシフトします。たとえば、レトルトカレーの販売開始も、いつも愛してくれるお客様が自宅でも楽しめるようにとの思いから誕生した事業でした。

カレー文化を守りたい。その思いからM&Aにも注力

また同時期、それまで独学で経営を続けてきた宮森氏は、その限界を感じてビジネススクールに入学し、経営学について勉強をスタート。もともと1日20時間も働くなどバイタリティを力に事業・経営に打ち込んできた姿勢を変えていきます。

トップを目指してM&Aにも挑戦

そんな中、スクールで出会った日本電産の会長・永守重信氏から「業界でトップに立ちたければ、1番の会社を買いなさい」と言われたのをきっかけに、M&Aにも積極的に乗り出します。

そして2017年、故郷の石川県で有名な老舗インド料理店「ホットハウス」との間でM&Aが成立。同店はインドやネパールからシェフをスカウトするなど本場の味にこだわり、地元で最も歴史あるインド料理店として知られていました。しかし、後継者が不在で、このままでは廃業の危機というピンチにもありました。

そんな中、同店に20代の頃から通い続けた宮森氏は、同店の味を守るために「うちに継がせてください」と店長の五十嵐憲治氏に打診。「やる気がある人に引き継いでほしい」と考えていた五十嵐氏と意気投合し、M&Aが成立しました。

過ごしやすい店内環境を作る

当初は「新参者が老舗を買収するなんて何事だ」と批判も殺到しましたが、伝統の味を守りつつ、トイレを男女別にするなど過ごしやすい店内環境を作るといったマイナーチェンジを実施。そうした努力が地元でも理解され、今も昔と変わらない人気店として愛され続けています。2018年12月には2号店を出店するほどになりました。

「M&Aは、お客さんが今まで食べていた美味しいカレーを救うことができるし、従業員も職を失わない。うちも仲間が増える。メリットしかありません」と、M&Aの魅力を語る宮森氏。今後も日本そして世界のカレー文化を守るため、活躍していくことでしょう。

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